『ラ・ラ・ランド』についての所感・夢の始まりと終わり
(攻殻機動隊2巻より)
「自分が最も欲しいものは何かわかっていない奴は、欲しいものを手にいれることが絶対にできない」
これは村上龍著「コインロッカーベイビーズ」からの引用である。
最も欲しいものを手に入れること、やりたいことを実現すること。自覚的な願望。その究極系を人は夢と呼ぶ。
セバスチャンとミアは夢を持っている。自分の店を持つこと。女優になること。
一方で、夢という単語にはもう一つの側面がある。眠りの中で見る、論理の破綻した世界。そこでは空も飛べるし、魔法だって使える。そしてそれは、無意識の願望である(もちろん無意識の恐怖やストレスも現れてしまうが)。
ラ・ラ・ランドの世界では、それはミュージカルという形で現れる。
そう、ミュージカルとは夢なのだ。
この物語は、狭間の物語である。夢と現実の狭間…ではない。夢と夢の狭間、2つの願望に挟まれた物語なのだ。
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『響け!ユーフォニアム2』についての所感・少年少女のためのラプソディ・イン・ブルー
「トランペットを吹けば、特別になれる」
例えば自分と似たような格好をした似たような能力を持った人がいたとして、自分に価値を見出すことはできるだろうか。
ましてや、全てが自分を上回る存在がいたとしたら?
大人にはそれができる。大人とは、そんな自分の上位互換が世界にはたくさんいるんだと知った上で、それでも自分は自分である、という自我を獲得した状態のことを言うからだ。
だがしかし、少年少女には難しい。
自分の可能性を知らない子供達。何者でもないが故に、何者にもなれるのではないかという根拠のない期待。伊集院光は、この万能感に中二病という名前をつけた。
高校生というのは、大人と子供の狭間だ。何かを為しとげたいという夢を抱え、迫り来る世界の広さ、上には上がいるという現実と戦わなくてはならない。自分を証明しなくてはならない。自分なんて世界にいらないんじゃないかという恐怖を克服しなければならない。それが特別になるということだ。
だから、高坂麗奈はトランペットを吹いた。そして特別な存在になった。
けれどもそれは、彼女の能力の高さに準じたものだ。
それならば、黄前久美子のような、普通の少女は?
楽器が特段上手いわけでもない彼女は、コンクールという戦場を生き抜くために、どうやって自分を確保すればいいのだろうか。
そう、これは実存の物語なのだ。世界のどこにでもいる、少年少女のための。
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『この世界の片隅に』についての所感・再会する命たち
「あいつは人さらい わしらはさらわれた人達じゃ」
「その通り ほいでキミ達はわが家の晩ごはんとなるのだ」
冒頭に現れる、後にすずと周作を導くこととなる、人さらいの化物。
違和感があった。徹底的に等身大で、リアリスティックに描かれたこの映画に、現実には存在しない化物が現れたことが。
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