『ガッチャマンクラウズインサイト』についての所感・愚劣な博愛主義者の救済、インサイトする猿にもう1つ必要なもの

山田詠美著「ぼくは勉強ができない」という連作短編の中に「◯をつけよ」という物語があります。僕が中学時代、最も影響を受けた小説です。

 

少し引用します。

 

「(テレビのワイドショウでコメンテーターが人殺しを糾弾しているシーンで)けれど、ぼくには、何故多くの主婦たちが、これらの番組に夢中になるか解るような気がする。ここに取り上げられる話題と来たら、すべてが、本当は自分の価値観でどうにでもなることだからだ。けれど、自分の確固たる価値観を持つのは難しい。多くの人々は、それらが本当に正しいものであり得るのか不安に思っている。そこに他人の言葉が与えられることで、彼らは、ある種の道標を与えられる安心を得るのだ。

(中略)ぼくは昨日のテレビ番組を思い出した。子供を殺すなんて鬼だ、とある出演者は言った。でも、そう言い切れるのか。彼女は子供を殺した。それは事実だ。けれど、その行為が鬼のようだ、というのは第三者が付けたばつ印の見解だ。もしかしたら、他人には計り知れない色々な要素が絡み合って、そのような結果になったのかもしれない。

(中略)ぼくは、ぼくなりの価値判断の基準を作って行かなくてはならない。忙しいのだ。何と言っても、その基準に、世間一般の定義を持ち込むようなちゃちなことを、ぼくは、決してしたくないのだから。ぼくは、自分の心にこう言う。すべてに、丸をつけよ。とりあえずは、そこから始めるのだ。そこからやがて生まれて行く沢山のばつを、ぼくは、ゆっくりと選び取って行くのだ。」

 

これがギリシア哲学者アルケシラオスのいうところのエポケー(判断保留)であったり、フッサール現象学でいうところの「カッコに入れる」であったと知ったのは、大学に入ってからでした。そんなものを中学生のクソガキに読ませる山田詠美すげぇ!と当時感心したものです。

 

…で、言うまでもなく、ガッチャマンクラウズインサイトのメインテーマはこれですね。

カッツェの言葉を借りるなら、「みんな自分が正しいことをしてると思い込んでる」から、もっとインサイトしろ。

 

これについては正論過ぎて突っ込みどころがないのであまり触れません。毎日どこかで炎上してるネット界隈や、右傾化する今の日本に、思うところがあったんでしょうね。

 

僕がインサイトで注目したいのは、ゲルサドラという個をどうやって救済するのかという問題です。

 

 

 

ゲルサドラの行動原理は、利他主義に支配されています。みんなが幸せになることが自分の幸せに繋がる。善意の塊と言ってもいい。

 

ただし、“頭が悪い”。

 

インサイト最大のポイントは、僕はここだと思っています。

 

ゲルサドラの描く理想の社会は、無茶苦茶です。当たり前ですが、共産主義だろうが社会主義だろうが新興宗教だろうが、「みんな一つになったら気持ちいい」という思想オンリーで成立した社会など存在しません。意図的なのか当て馬だからなのか知りませんが、インサイト全体を通してゲルサドラの“赤”的要素の描かれ方は物凄く幼稚なものでした。ディテールが一切描写されず、支持率9割獲得するなど、ただただ世間に受け入れられる様子だけが描かれました。特にインターネット以後価値観がより細分化した現代では、有り得ないことです。

せっかく1期でインターネット以後の共産主義の可能性について描いたのに、2期の共産主義的思想ははっきり言って稚拙なものだったと思います。

 

 

groll.hatenablog.com

 

 

もしゲルサドラが例えばマルクスでも読んでいれば、もう少し視聴者に共感されたかもしれません(僕はノンポリですが)。

 

 

さて、僕が注目したいゲルサドラの救済とは何なのかを明確にするため、花澤演ずる幼女のゲルサドラと、杉田演ずる大人のゲルサドラとを分けて考えたいと思います。

 

 

花澤サドラは、基本的に何もしていません。社会についての感想を述べ、願望を口にしただけです。

 

以下はじめちゃんと花澤サドラのやり取り。

 

 

「それ、考えてないっす、もっと考えるっす!」

「それは…」

「考えるっす。ゲルちゃんだけの答えを。きっとあるはずっす!」

「僕だけの答え…それは、もう一度つばさちゃんに会いたいから」

「いいんすよ、それで」

 

 

いやはじめちゃん、よくないっす。少なくとも僕はいいと思わないっす。

もちろんゲルサドラがここにいたい理由としてはいいでしょう。けど、この国を良くしようと思って行動してきたゲルサドラが、そんな答えを出してしまうのですか。責任がうんぬん言うつもりはさらさらないですが、本当に花澤サドラはインサイトしたのでしょうか?

花澤サドラはつばさちゃんとまた出会い、ガッチャマンに尻拭いを一任し、地球で暮らすことを世間に認められます。

色んなことが起きたのはゲルサドラに政治を任せた、大衆一人一人の責任だ、大衆は個人個人でもっとインサイトしろよ!という意図はしつこいぐらい繰り返されていたので分かります。

けど僕がもっとインサイトしろよと思ったのは、大衆でなく花澤サドラでした。

 

 

…と、ここまで書きましたが、正直花澤サドラはどうでもいいです。問題は杉田サドラです。

 

 

なぜゲルサドラを2バージョン用意したのか、製作上の意図は僕にはよく分かりませんが、1つ確実に言える違いは、実際に行動、政治をしたのはほとんど杉田サドラだということです。

 

繰り返しますが、ゲルサドラは利他主義者です。常にみんなのことを考え、みんなが幸せになるためだけに行動してきました。地球に来て空気というものを学び、みんなが1つになることがみんなのためだと考えた。

 

結論だけ見るとその考え方が間違っていたわけですが、杉田サドラはそれを正しいと思い込んでいた。そしてそれは善意によって行われた。

 

僕がインサイトで一番納得できなかったのが、ゲルサドラを論理的に説得する場面がなかったことです。

 

確かに花澤サドラは「つばさちゃんにもう一度会いたい」という気持ちに気付けた。これはいいです。大衆は一時の感情に流されずにもっとインサイトしなければならない。これもいいです。

けど、みんなのためだけを思って行動してきた杉田サドラが、救済されてなくないですか?

 

ゲルサドラは自分の気持ち至上主義者たちの代弁者で、ゲルサドラに政治を一任してしまった大衆はもっとインサイトしなければならない…というのは正しい。

 

ただ、自分が正しいと思い込んでいる人間を変える方法って、それしかないんでしょうか?

もっと言うと、自分が正しいと思い込んでいる人間って、内発性で変わるものなんですかね?

 

少なくとも僕の乏しい人生経験の中で、そういう人間が変わるところを見たことがありません。

 

 

…だけど、だからこそ、僕はゲルサドラが変わるところを見たかった。成長して、その後この世界に何をもたらすのかが見たかった。

 

思想的な部分をなぁなぁにして、花澤サドラにわざわざ戻して被害者面させて、つばさちゃんに会いたいとかいう自分の気持ち至上主義に帰結させるのは卑怯ですよ…。それじゃ本当に国民に利用されただけじゃないか。バカでも発言できるのが民主主義で国民主権なんでしょう?

 

 

僕はガッチャマンたちに言いたい。

 

あなたたちはゲルサドラを思想的に救うべきだった。僕はバカだから分かる。例えどれだけインサイトしようと、バカはバカのままなんですよ。

重要なのは、多様な価値観を与えることです。価値観を与えることでしか価値観は壊せないし、価値観は形成されません。みんな1つになれば幸せとかいう考えしか持ってない人がインサイトしても、それ自体は正しいのだから、加速して宗教になるだけです。

考えることも大事ですが、知ることと両輪になって初めて活きると思うのです。

 

 

…まぁ作品的には、一時の感情に流されて判断するな、てことを言いたかったのはもちろん分かりますけどね…。あれだけ献身的なゲルサドラが道具のような扱われ方をされてるのが気に入らないので文章として書きました。努力は報われないものかもしれないけど、報われるべきです。

 

 

 

…さて、ガッチャマンクラウズインサイトの記事を書くからにはもう1つ触れなければならない話題があります。

 

ゆる爺の存在です。

 

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インサイトする者の象徴であり、世間の現状を冷静に見つめ、戦争を説き、つばさに助言を与える、物語のある種メタプレイヤーとして配置されたゆる爺…。

 

 

結論から言います。

 

僕はこのじいさんが嫌いです(直球)。

 

前提として、僕は「年功序列」という概念と「いつか分かる」という言葉が世界一嫌いです。

 

で、このじいさんは、花澤サドラより何もしてません。そのくせ、つばさちゃんにダメ出しはしまくります。

 

嫌いな理由は、大きく分けて3つあります。

 

まず第一に、行動してない者が行動した者に偉そうに言うな問題。僕もつばさちゃんの行動が是だとは微塵も思ってませんが、つばさちゃんに対等に意見を言えるのは行動を示した者だけでしょう。「世の中に不満があるなら自分を変えろ! それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ!」てやつです。

 

それを百歩譲って第二に、助言するなら論理的にしろ問題。なぜダメだ、とか帰って来い、としか言わない? つばさちゃんにもっとインサイトさせるため? 傲慢です。いったい何様のつもりなんでしょう。自身の戦争の経験も話すならもっと早く話してあげて下さいよ。個人的にはそれすらバブルについて「あの頃はよかった」と話すクソジジイと同じ匂いを感じましたが。

 

千歩譲ります。第三に、つばさちゃんが助言に従ったとして、それが正しいかどうか分からない問題。断言しますが、ゆる爺こそ「自分が正しいと思い込んでいる人間」の最も典型的な例です。なぜなら、結論ありきの断片的なアドバイスしかしないから。普通に考えたら、自分が正しいかどうか確認するために、考えの違う人と議論するわけです。つばさちゃんと真っ向から向き合わなかったのは、自分の正義に疑いの余地がないと“思い込んでいる”からです。

 

以上の理由から、僕にはゆる爺が老害にしか見えません。…いや、それは言い過ぎにしても、友達にはなれるけど、尊敬はできないタイプの人間だなぁと感じました。

「どうせつばさに言っても理解できまい、頭が悪いから」って思ってもらってたほうが、僕的には納得したかもしれないです。

 

 

インサイト全体を通して、行動する者が叩かれ、肥大化した自意識過剰な大衆が見解だけを述べるのは、そのまんま社会の構図ですねー。

 

行動した者という観点から見るなら、クラウズ撤廃には反対ですが、リズム君が一番好きでした。ガッチャマンより断然立派やと思うなー。

 

 

長くなってきたのでそろそろ終わりにしときます。

色々書きましたが、ガッチャマンが好きだから書いたものです。非難じゃなくて、ちゃんと批判になってるといいなー。

 

それでは、読んでいただきありがとうございました!

 

最後に、ゲルサドラへ、松本大洋のこの台詞を添えて。

 

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