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マージナル・オペレーションについての所感  優しさの輪郭、濁流の中のファンタジーと現在地

「私が後進国のかわいそうな子だから、ですか?」

 
ジブリールは尋ねた。
まるで、自分に問われたようだった。僕はこの言い方をされるまで、無意識のうちに子供のことを自分より下に見ていたのだと気付けなかった。
 
「そんなわけあるか。しまいにゃ怒るぞ」
 
主人公アラタは、そう答えた。図星だったわりには、模範的な回答だった。
 
…僕ならなんと返答するだろう。
 
金で取引される子供達、国家間での様々な利権と経済的に必要とされる戦争、宗教・民族による対立、外交におけるカードとしての軍隊、命の値段、そして命より大事なもの。
 
君の周りの環境が、この世界が間違っているんだ、と言うのは簡単だ。
けどこの世界って?  平和というぬるま湯に浸かっている僕に、何が語れる、いや、語る権利があるというのだろう。
 
無知は罪だ。それが、読みながらずっと頭を離れなかった感想だ。
 
日本は、現在進行形で濁流に飲み込まれている。そして、それを自覚している人間は少ない。僕も含めて。
 

 

 
アラタの行動原理は、全て子供たちのために帰属する。
アラタには夢がない。というか、我欲というものがない。性欲すら乏しい。
ただ、子供たちの未来。それだけは何としても守ろうと思った。その手段として、子供たちを傭兵として使う。
アラタは常にディレンマを抱えている。だからどれだけ軍事的才能があろうと決して自惚れないし、自分はいつか地獄に落ちるのだと自覚している。
それが、アラタという男だ。
 
 
アラタが子供たちを愛しているのと同様に、子供たちもアラタを愛し、信頼している。
持論だが、信頼とは、この人なら裏切らない、と期待することではない。この人になら裏切られてもいい、というポジティブな諦観だ。
子供たちは、アラタのために死ぬことを厭わない。別に死にたいわけじゃないし、教義や大義があるわけでもなく、そもそも死は彼らの日常だったのだ。アラタは全力でそれを変えようとしている。それは命をかけるに十二分な理由になる。
 
 
アラタは、優しい。
強さは優しさだなと、アラタの親友オマルは言った。
また持論で申し訳ないが、優しさとは、誰にも期待しないことだ。
それを言うとネガティヴな意味で捉えられることが多いが、言い換えるなら、見返りを求めないということだ。自分の中にある感情の定規、許せるかどうか、助けたいかどうか、殺したいかどうか。他に何も求めず、ただその心に準じる。
優しさには様々な形があるだろう。アラタのそれは、子供たちのためという最優先事項の次に機能する。
 
 
「当たり前だけど未来は今より良くなる。それが希望です」
 
これは村上龍の言葉だ。
人は、何かに期待しないと生きていけない。何かを信じなければ、この世界では生きていけない。人は、弱い。そういうふうにできている。
だがアラタは期待しない。他人はおろか、自分にさえも期待しない。ただただ謙虚に真摯にそして客観的に、選びうる最善を求め続ける。必要なものは自らの手で掴み取る。
 
そういう強さが欲しいと思った。優しい人間になりたいと思った。
アラタから学ぶことは、多い。
 
 
 
 
濁流。
 
醜い利権で淀んだそれは、世界を支配している。命の価値すらそれで決まる。
 
 
「我々はファンタジーを見た。あの日、確かに現実はファンタジーに食い荒らされたんだ。
(中略)私は一人のただの人間が現実を叩いてその壁を揺らすのを見た。一人の人間の拳がファンタジーを呼ぶんだ。世界の壁、常識の壁という奴が、一人の人間の拳を前に揺らぐのだ」
 
 
元上司のランソンは彼をそう称する。
 
現実とは何か。
支配構造のことだ。既得権益のことだ。ナショナリズムのことだ。
留まることを知らない人間の欲望と、失うことを恐れる余り肥大化した自己防衛の入り混じった、世界の根底に流れる濁流。
アラタの言葉を借りるならば、無意識の悪意。
何も知らなければ、すぐにそれに流されてしまう。自覚すらする間もなく。
 
ファンタジー。
夢。幻想。フィクション。お伽話。神話。
理屈を越えた世界。
人間離れしたアラタの才能は、他人にはそう写る。ファンタジックだがファンタジーではないということは、神の目線を持つ読者にしか分からない。
 
ファンタジーの現実への侵食。
それは一般的に革命やテロリズムと呼ばれる。
アラタが英雄なのか犯罪者なのかは、後の歴史にしか証明できないし、そもそも立場によって姿を変えるだろう。
要は優先順位の問題だ。神のための人殺しもあれば、異教徒を愛することもあるだろう。
子供たちの未来を優先するアラタを、僕は全面的に支持する。
それより優先させる現実なんて、僕には思いつかないから。
 
 
 
僕はぬるま湯から考える。
僕には、時代の流れというものが見えない。日々起きるニュースの政治的意図が見えない。
僕はアラタのような、濁流の支配者にはなれない。
だけど、いや、だから少なくとも、現在地だけは確認しようと思った。
世界の中で、僕のいる場所。
いまここに、どんな国やコミュニティの、どんな思惑が集まっているのか。
 
 
 
 
最後に、芝村裕吏先生へ感謝の言葉を。
 
小説にこんなに熱中したのは、本当に久しぶりでした。10時間ぐらいぶっ通しで本を読んだのも初めてかもしれません。こんなに何度も、心に刻むように読み返したのも。
仕事中や移動中、僕は芝村先生の、アラタの言葉や態度を頭の中で反芻し、その誠実さに慄いています。
心境の変化がありました。マージナル・オペレーション読了後、僕は、誰かを幸せにする仕事がしたいと思ったのです。アラタを見ていて、自分のことしか考えていない自分が恥ずかしくなったからです。
この本を読まなければ、僕は世界に目も向けず、自分のためだけにのうのうと人生を消費していたでしょう。それが非とは言いませんが、僕は気づけて本当に良かったです。ありがとうございました。
先生の今後のご活躍を、日本人のためにも、心よりお祈りしています。
 
世界平和を願うノンポリより。
 
 
終わり。
 
 
 
…と、この記事を締めようと思っていたのですが、ちょうど書いてる途中に、ISによるフランスへのテロが起きました。 
 

 

シャルリー・エブド襲撃事件 - Wikipedia

 

 

平和ボケ、ここに極めりですね。僕も含めて。

頭の悪い僕なりに、色々と考えていきたいと思います。

 

今度こそ終わり!