雑感3・大人になるぐらいなら
社会不適応者は死ぬしかないんじゃないだろうかと思う時がある。今日がその日だった。
社会は最大多数の最大幸福のために構成される。なるべく多くの人、普通の人のためのもの。それ自体は正しい。
だけどそれでは、日陰者が社会に順応する未来は永遠に来ない。
インターネット以前よりはマシなのだろうとは思う。
思想的に言うなら、インターネットは日陰者に居場所を与えた。発言権を与えた。だからリアルの社会では淘汰されてしまうような人も、我の承認欲求と自己満足のための下らない正義感を発揮してイキイキと発言する。
ドワンゴの川上さんは、そういう人達の居場所としてインターネットは大切だ(概意)と言った。それには納得だし、マシというのはそういう意味だ。
インターネット以後、世界は少しずつ優しくなっている。
けれども、まだまだ狭量だ。
自分と世界が、対等であってほしい。自分が社会に歩み寄るのでなく、それをそのまま許容する社会が欲しい。
きっと世界平和っていうのは、自分と違うものを認める、ですらないのだろう。
みんな分からないから、今ある社会に順応しようとするんだろうか。それともあまりそういうことを考えないのだろうか。
…いや、今あるものを受け入れるのが大人ってことなんだろうな。
周りを見渡せば、僕の気づかないうちにみんな大人になってしまった。自分の人生を守るために生きている。
それが普通なんだろうなとは思う。
だけど、人生ってそんな大事だろうか?
みんないったい何を守っているんだろう?
自分の幸せというものに、そんなに価値のあるものなんだろうか?
僕は今の自分も、今の世界も、絶対に肯定しない。
大人になるぐらいなら死んでやる