『ハンターハンター』についての所感3  神話に回帰するための、王の骸の為す乱反射

KAI-YOUさんのとこで、ハンターハンターについてまた書かせていただきました。ありがたやありがたや…。

 

kai-you.net

 

以下、この記事に関するおまけの話。というか、伝わる気がしないことを好きなように書きます。

 

 

さて、僕がなんで神話に拘るのかというと、フライの言うところの「神話への回帰」という考え方にとても影響を受けてるからなんですねー。物語分類とかでよく顔を出すアレです。

 

批評の解剖 - Wikipedia

 

ざっくり言うと、物語って神話、悲劇、ロマン、喜劇、諷刺の5つに分類できて、サイクルしてるだけってやつです(神話を物語と呼ぶかどうかは置いといて)。

 

まぁこれを書くなら宮﨑駿論とかのほうがよっぽど分かりやすいかなぁと思うので気が向いたら書いてみようと思います。ただ宮﨑駿論なんて世の中に溢れすぎてて僕が書く意味皆無なんですよね…。宮崎作品全部取り上げて、こちら側(人間世界)とあちら側(不思議世界)をいかに越えてきたのか、「境界の変遷」とか書けたら面白いと思うんですけどね…。ポニョなんか神話素だけで成り立ってる作品ですもんね…。

 

ハンターで言うと蟻編はしつこいくらい仏教vsキリスト(東洋vs西洋)で、その文脈で言うとメルエム(まんまキリスト)とコムギ(煩悩なき者)がグンギ(究極の論理)によって神話(非論理、異種婚)に回帰したわけで、なんというかとっても文学ですね。

 

 

groll.hatenablog.com

 

「世はなんのために生まれてきたのか」という使命感も、「グンギで死んだらゴミなんです」っていうのも、強迫観念ですよ。梶井基次郎が、桜の樹の下には屍体が埋まってないといけない、て言ってるのと同じですよ。

 

 

 

もういっこ言及したいことが。

 

 

ラストのメルエムとコムギ、『日出処の天子』のラストですよね?

 

日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

 

 

……いやまぁ全然違うんですが、どうしても連想しちゃいますよね。

 

幸せを得たが死んでしまった『ハンターハンター』と、幸せを得られなかったが箱庭で暮らす『日出処の天子』、どっちがハッピーエンドなのかで、その人の人生観が測れそう。

そもそもメルエムに選択権はなかったし、『幽☆遊☆白書』で樹が箱庭エンドは選んじゃってるんですけどね…。

 

ハンターの謎は、まだまだあります。

 

例えば、メルエムがコムギと過ごさない、コムギ生存ルート。なぜメルエムは、最後の最後で我欲を通したのか。実は割と違和感を持ってます。これも愛の形なのだろうか…。

 

もっと言うと、なぜメルエムは死ななければならなかったのか。メルエム生存ルート。ネテロの絶対に交わらないというのが読み違いだったのでは? プフでいう、もっと迷うべきだったのでは? という可能性。

 

ハンターのどの記事でも言及してますが、それくらいメルエムが死んだというのは、多重的な意味があると思います。

 

…おまけなんでここらにしときますか。

 

なんか思いついたら、またどこかに吐き出しますね。

 

では!