雑感4・気付き

 

 

記事を書くのは楽しい。誰も気付いてないんじゃないだろうかということをなるべく書く。それは、既存の何かと何かを繋げる行為であり、文学であり批評だ。批評だなんて偉そうかもしれないが、多分定義上はそうなる。

 

それは「知っている」ということを「気付く」という状態に変換させる作業でもある。

 

「気付く」ことは、多分人生で一番大事だ。気付かなければ、人生ないし物事は変わらないからだ。

 

世の中は、誰かが何かに「気付く」ことの繰り返しで、カオス的潮流を見せている。

 

現状維持は、後退を意味する。なおかつ現状を維持するためには、常に変わらなければならない。

 

じゃあ「気付く」ために必要なものは何か。知識と教養だ。

 

知識は増やす…等はよく言う言い回しだが多分考え方を変えたほうがいい。知識とは、カテゴライズで、差異で、定義で、境界線だ。

 

知識は増やす…という表現は、知識を個として積み重ねる、ボトムアップ型の考え方だ。

 

魚がいるとする。泳ぐ、美味しい、卵を産む…これらが魚の知識だ。

じゃあ犬はどんな生き物だ? 猫は? ヒトは? ……と無限に知識を蓄えないといけない(もちろんそれが大事な人もいるが)。

 

魚を見たときに、まず動物だということを認識しなければならない。

 

動物と認識することで、じゃあ犬猫ヒトとの違いは? ……と1つ上の次元から物事を考えることができる。これがトップダウン型。抽象度を上げるというやつ。

 

ニュース等で新しい何かが起きたときは、誰かが何かに気付いたときだ。「このままではいけない」と。

 

それは一見シンプルな事件であっても、ほぼ間違いなく複雑な出来事だ。

 

まずは、その出来事を抽象度の高い次元で見てみる。そして、自分に足りないものを下から補う。

 

気付かないうちに世界はどんどん変わっていくから、そして無関心が一番人を傷つけるから、なるべくたくさんのことに「気付く」ために、そういう考え方をしなきゃなー、と思った深夜でした。