『アンダーカレント』についての所感・原罪の河の合流点の、水面に浮かぶ膿
「あたしが死ねばよかった」
キリスト教によると、人間は罪を背負って生まれてきたようだ。その罰として労働が課せられただとか。
それらはもちろん嘘であるが、人々を支配することにおいて、人間の「罪と罰」という機能は便利だったことだろう。
何か失敗してしまったときに感じる良心の呵責、罪悪感、苦しみ。そんなときに「こうすれば救われますよ」と罰を与えてくれる宗教。キリスト教なんかに顕著なのは、生まれながらにして罪を背負っていると教育するわけだから、そのサイクルにさえ巻き込めばそら発展するわなーと思う。(ディスってるわけじゃありません)
僕が思うに、原罪というのは、確かにある。ただ、人類に課せられた運命とかではなく、生まれてから背負う呪いだと思う。
豊田徹也著「アンダーカレント」は、呪いを被った3人の男女の物語だ。
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ぼくのかんがえたさいきょうの「アニメ・マージナル・オペレーション」前編
1000%妄想です。
マージナル・オペレーションが好きすぎるので、アニメ化するならこんな感じがいいなぁという願望をまとめてみます。
不快になられる可能性もあるので、マージナル・オペレーションが好きな人ほどブラウザバック推奨です。
僕の乏しいアニメ知識を総動員し、かつこれなら有り得なくもないんじゃないか? というギリギリのラインを狙ってます。
※ネタバレも1000%
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『マージナル・オペレーション』についての所感・優しさの輪郭、濁流の中のファンタジーと現在地
「私が後進国のかわいそうな子だから、ですか?」
雑感1・とあるゴーストとの対話
「……。」
『ガッチャマンクラウズインサイト』についての所感・愚劣な博愛主義者の救済、インサイトする猿にもう1つ必要なもの
山田詠美著「ぼくは勉強ができない」という連作短編の中に「◯をつけよ」という物語があります。僕が中学時代、最も影響を受けた小説です。
少し引用します。
「(テレビのワイドショウでコメンテーターが人殺しを糾弾しているシーンで)けれど、ぼくには、何故多くの主婦たちが、これらの番組に夢中になるか解るような気がする。ここに取り上げられる話題と来たら、すべてが、本当は自分の価値観でどうにでもなることだからだ。けれど、自分の確固たる価値観を持つのは難しい。多くの人々は、それらが本当に正しいものであり得るのか不安に思っている。そこに他人の言葉が与えられることで、彼らは、ある種の道標を与えられる安心を得るのだ。
(中略)ぼくは昨日のテレビ番組を思い出した。子供を殺すなんて鬼だ、とある出演者は言った。でも、そう言い切れるのか。彼女は子供を殺した。それは事実だ。けれど、その行為が鬼のようだ、というのは第三者が付けたばつ印の見解だ。もしかしたら、他人には計り知れない色々な要素が絡み合って、そのような結果になったのかもしれない。
(中略)ぼくは、ぼくなりの価値判断の基準を作って行かなくてはならない。忙しいのだ。何と言っても、その基準に、世間一般の定義を持ち込むようなちゃちなことを、ぼくは、決してしたくないのだから。ぼくは、自分の心にこう言う。すべてに、丸をつけよ。とりあえずは、そこから始めるのだ。そこからやがて生まれて行く沢山のばつを、ぼくは、ゆっくりと選び取って行くのだ。」
これがギリシア哲学者アルケシラオスのいうところのエポケー(判断保留)であったり、フッサールの現象学でいうところの「カッコに入れる」であったと知ったのは、大学に入ってからでした。そんなものを中学生のクソガキに読ませる山田詠美すげぇ!と当時感心したものです。
…で、言うまでもなく、ガッチャマンクラウズインサイトのメインテーマはこれですね。
カッツェの言葉を借りるなら、「みんな自分が正しいことをしてると思い込んでる」から、もっとインサイトしろ。
これについては正論過ぎて突っ込みどころがないのであまり触れません。毎日どこかで炎上してるネット界隈や、右傾化する今の日本に、思うところがあったんでしょうね。
僕がインサイトで注目したいのは、ゲルサドラという個をどうやって救済するのかという問題です。
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