『響け!ユーフォニアム2』についての所感・少年少女のためのラプソディ・イン・ブルー
「トランペットを吹けば、特別になれる」
例えば自分と似たような格好をした似たような能力を持った人がいたとして、自分に価値を見出すことはできるだろうか。
ましてや、全てが自分を上回る存在がいたとしたら?
大人にはそれができる。大人とは、そんな自分の上位互換が世界にはたくさんいるんだと知った上で、それでも自分は自分である、という自我を獲得した状態のことを言うからだ。
だがしかし、少年少女には難しい。
自分の可能性を知らない子供達。何者でもないが故に、何者にもなれるのではないかという根拠のない期待。伊集院光は、この万能感に中二病という名前をつけた。
高校生というのは、大人と子供の狭間だ。何かを為しとげたいという夢を抱え、迫り来る世界の広さ、上には上がいるという現実と戦わなくてはならない。自分を証明しなくてはならない。自分なんて世界にいらないんじゃないかという恐怖を克服しなければならない。それが特別になるということだ。
だから、高坂麗奈はトランペットを吹いた。そして特別な存在になった。
けれどもそれは、彼女の能力の高さに準じたものだ。
それならば、黄前久美子のような、普通の少女は?
楽器が特段上手いわけでもない彼女は、コンクールという戦場を生き抜くために、どうやって自分を確保すればいいのだろうか。
そう、これは実存の物語なのだ。世界のどこにでもいる、少年少女のための。
…さて、上記は主に1期の内容である。
特別な存在である高坂麗奈と、周囲に合わせることでなんとなく生きてきた黄前久美子の対比。
純粋で孤高な少女の眩しさを目の当たりにした、黄前久美子の“もがく”物語。
対比と書いたが、黄前久美子が歪んでいるわけではない。この少女は、おそらく人生で何かに真剣になったことがなかったのだ。だからこそ高坂麗奈という存在に当てられて、自分を疑うこととなった。「自分はこのままでいいのだろうか」と。
1期は、一見ハッピーエンドだった。しかし、問題は何も解決していない。
この前提を踏まえることで、ようやく2期の話ができる。
結論から言うと、2期は「特別でない少年少女たちが、自分を獲得する物語」だ。
例えば傘木希美にトラウマを持っていた鎧塚みぞれ。
例えば田中あすかへのコンプレックスや部長としてのプレッシャーに悩まされていた小笠原晴香。
面倒なのでもう例は挙げないが、決して特別ではない少女たちが、自分のやるべきことを見つけ、人が大勢いる部活動の中、アイデンティティを見つけていく。
これらを「みんな違ってみんな特別なんだ」という綺麗事にはしたくない。断言するが、吹奏楽において、楽器がうまくなければ絶対に特別にはなれない。「トランペットを吹けば特別になれる」とは、「トランペットを吹けなければ特別にはなれない」なのだ。
主人公の話をしよう。
黄前久美子に立ちはだかるは、自分の上位互換(と、久美子は思っている)、副部長であり直属の先輩である田中あすかだ。
楽器も部活の立場も成績も自分より上の存在に、久美子の心はまた揺れる。高坂麗奈とのやり取り(1期)で培った真剣さも、田中あすかの前ではゆるりとかわされてしまう。久美子には、やり場のない感情だけが残る。
自分よりすごい人がいるのに、なぜ自分は吹奏楽を続けているんだろう。ユーフォを吹いてるんだろう。自分なんていらないんじゃないだろうか。
もちろんこんな台詞は物語にはない。肝心なのは、久美子は、これらを否定できる強さをまだ持ち合わせていないということだ。
そんな中、2つの事件が起こる。
“姉が大学をやめるかもしれない”ことと、“あすかが部活をやめるかもしれない”ことだ。
この2つの出来事が同時進行するということが、このアニメ最大のポイントだと思う。
姉とは、不仲だった…とまではいかないかもしれないが、少なくとも微妙だったし、もっと言うと無関心だった。微妙じゃない思春期の兄弟姉妹などこの世に存在しない。
「だったら! 続けたかったなんて言わないでよ! 吹奏楽嫌いなんでしょ? 〜今になって、続けたかったなんて言うのズルいよ!」
姉が本当は吹奏楽を続けたかったという話を聞いた久美子の心は、さらに混迷を深める。おねーちゃんだから我慢してた? つまり、私のせい?
この件に関しては、「確かに言いづらい空気を作っていたかもしれないが、決めたのは姉である。本気なら覚悟を示せ」という父親の意見が圧倒的に正論である。そして、正論であるだけである。
久美子にはわだかまりが残った。
しかし同時に思い出すのだ。自分がなぜユーフォニウムを吹いているのか。なぜ今、吹奏楽をしているのか。
姉と一緒に吹きたい。始まりは、憧れだったこと。今の自分の全ては、姉から始まったこと。
原点回帰。姉と向き合うことで、久美子は自分がなぜ「いま」「ここ」にいるのかを理解する。これは成長であり、紛れもない実存だ。
「後悔のないようにしなさいよ」
自分の現在地は分かった。久美子の中の、あすかへの迷いは消える。彼女の為すべきことは、大人の事情に振り回されて後悔しないこと。そして、あすかを後悔させないことだ。
憧れていた姉は“空気”に負けて吹奏楽を続けられなかった。
今の憧れであるあすかに、親の都合で吹奏楽をやめさせるわけにはいかない。
考えてみるとなんてことはない。中二病でよかったのだ。正しさというのは、二の次だった。
ユーフォ10話神回過ぎる。蜘蛛の巣に絡め取られた蝶はあすかが久美子より“正しい”ことを暗示するが、姉との“和解”によって成長した久美子は、かつて乏しかったはずの“エゴ”によって、初めてあすかに勝利する。しかもこれまでさんざん語られてきた“特別”を逆手にとるウルトラC級の方法で。
— 亮祐 ryosuke.i (@c0ra1_reef) 2016年12月9日
一言で言うとこうなる。
これら上記全てを踏まえないと、久美子の言った「おねーちゃんのおかげでユーフォ好きになれたよ」の意味が分からないと思うのだ。
まとめ。
響け!ユーフォニアムとは何だったのか。
大人と子供の境目で、少年少女たちが自分というものを見つける。紛れもない青春の物語。
その中で、久美子はとにかく走り回った。様々な人生に触れ、出会い、そして別れた。
あすかは「自分はユーフォっぽくないが、黄前ちゃんはほんとユーフォっぽいね」と言った。
これね、あくまで自分の吹奏楽経験に基づくもので統計とか理論とかないんだけど、ユーフォの人ってほんと自由な人が多かった。考える前に喋ったり、気付いたら行動してたり。だから人から天然って思われることが多かったんだけど、すっごく頭がいい人も多かった。
久美子も、そんな女の子だった。
それはさながら狂詩曲のように。
青春の中を駆け巡る少女。
◯おまけ
①
ユーフォ9話、のぞみが靴紐を結び直すとこがとにかくヤバいよね。あれまんま束縛のメタファーになってて、あすかはそこに母親を感じてしまってるし、それがあすかが“のぞみ”でなく“久美子”に話を聞いてほしいという理由と直結してる。オーボエの話といい、悪意なき悪が見え隠れしてる。残酷だねぇ
— 亮祐 ryosuke.i (@c0ra1_reef) 2016年12月4日
こういう目線で見ても、京アニのクオリティはほんとすごい。ねーちゃんが鍋の焦げ洗いながら「これからは後悔しない」て言ったり、大事な場面では必ずと言っていいほどメタファーが効いてる。
②
過去の吹奏楽経験からの独断と偏見による、楽器別「ぽい」リスト。楽しいから書いてるだけなので怒らないでね。
フルート:責任感がある
クラリネット:陰湿
サックス:バランサー
ホルン:純粋
ユーフォ:自由奔放
トロンボーン:ノリで生きてる
トランペット:自己中
チューバ:平和主義者
コントラバス:変人
パーカッション:治外法権
まぁオーボエの茂木さんか誰かがちゃんとしたの書いてた気がするしこんな意見もあっていいでしょ。
③
過去にこんな記事も書いてたりします。音楽そのものに興味持たれた方いらっしゃったら是非。
あ、あとラプソディー・イン・ブルー、ガーシュインの意図した意味と違うの分かってるから突っ込まないでね…。
語り残したことは多いが、キリがないので終わっておきます。
読んでいただき、ありがとうございました。